太田惠資インタビュー2002 part2

「ライブパフォーマーとしての太田惠資」



太田のバイオリンの魅力はやはりライブで聴いてこそ、というファンも少なくない。ライブ・パフォーマーとしての意識について訊いてみた。

――年間200本のライブをやっているということは、それだけ一緒にやろうっていうミュージシャンがいてくれるっていうことですよね。

こんな時間守んないヤツなのにね!(笑) いや本当にもう、光栄ですよ。申し訳ないとはおもってんだけど。うん。

――(笑)。で、そういう人たちが求めているのが、音楽もそうだけど、ライブでのアジテイター(煽動者)としての部分もあるんじゃないかと。客席から見ていて、ライブっていう生き物の中で、お客さんの雰囲気や、場の呼吸や、そういうものに太田さんが一番早く反応してるという風に思えるので。

へへへ(笑)。まあ、ありがとうございます。それは、もしかすると一番意識しているところで・・・まあ常に修行なんですけどね。同じ意識するにしても、何て言うんだろう、センスみたいなものも問われるかもしれないし、意識していればいいか、意識して笑いに持っていけばいいかっていうとそんなもんでもないしね。それは、奥が深いことだと思ってます。前のインタビューでも出てきたことだと思うんだけど、ダンサーとやってたパフォーマンスが、一番すごく役に立ってると思うなあ。

ただ単にダンスの公演のサポートをミュージシャンとしてやったっていうのとは別に、黒沢美香さん・出口大介さんとやってたパフォーマンスは本当に・・・舞台芸術や空間演出ってなんだろうとか、あるいは自分を別のところから見るということは何なんだろうとかいうことをずっと実験してたのでね。しかもそれをお客さんに媚びるっていうことでなしに、やっていることの密度とかそういうことでコントロールするのはどういうことか、といったことをずっと実験していたので、それが凄く役に立っていると思う。

――最近もまだそういうのは・・・?

最近はね、ちょっと疲れたんで・・・(笑)。

――ははは(笑)。

音楽のライブでもお客さん少なかったり、僕らなんかマスメディアに載らないから、まあ骨身を削ってる感じはすごいあるんだけど、パフォーマンスはもっとそうだね。心身共にボロボロになっちゃうんですよ。それを10年近くやり続けて、同じ作品を100回近くやったことで凄く良かったとは思ってるんだけど・・・。今度そういうことをやるんだったら、もうなんちゅうか実験的なことは抜きにしてものすごいエンターテインメントなことをやるか、ですね。ハリウッド娯楽的なものではなくって、もうちょっと洒落の効いた、私小説的なんだけど普遍的な、みんながわかるような感じのもの。

あとは最近やるとすれば・・・ダンサーの人って決めちゃわないといけない人が多くてね。曲もそうなんだけど、振り付けとか、流れとかを。僕が今そういうのをやってもいいと思う時は、いいよ決めなきゃやらないんだったら決めてください、映像があるんだったらやってください、だけど俺はとにかく本番までは見ないから。そちらが決まってることやって、俺はそれを見て、お客さんの反応も見ながらその場で即興演奏をやるから。それに影響されるんだったら反応してもいいし、しないんだったらしないでもいいし。そちらが作ったものが、例えば美術館に展示してある絵画であるとすれば、僕はその上をリアルタイムで本物のゴキブリが這っていくような、そういう役割をしますから。それでいいんだったらやる、っていう。作りこんだものも嫌いじゃないけど、あまり僕が好きなものは多くなくて。それだったらちょっと壊すか、パロディにしちゃうとか、そういう方が今は面白いですね。

――そういうのは、例えばパフォーマーで、引いちゃう人っていませんか?

あ、いるいる。最初から出来ない人はやっぱりいるので、そういう場合は最初からお断りになっちゃう(笑)。か、それでもやりたいって言って、破綻してしまった人もいる(笑)。

ところがね、フラメンコダンサーの鍵田真由美さん・佐藤浩希さん(パセオフラメンコのインタビューのきっかけとなった)はばっちり作る方たちだったんですよ。その時は、吉見(征樹)さんとか高木(潤一)さん、大儀見(元)さんってサルサの人もいたんだけど、僕だけは完全に野放しにさせてもらった。能の・・・お年を召されてたし相当有名な方だと思うんですけど、能の方とフラメンコのダンサーが一緒に踊る場面があって、それは完全にバイオリンソロだったんですね。3回くらいあったのかな、そこの部分は毎回自由にやるからって。そしたら 佐藤浩希さんが、マグマ※とか好きだったんですよ、ディディエ・ロックウッドとか・・。で、いや俺はもうフラメンコ知らないから言われたようにはできないって言っても、「いやいいんですよ太田さんを呼んだのは、もう、マグマですから!」って言ってくれたんで、結果的にはすごく面白かった。そういうフラメンコとかきちっとするようなタイプのものでも、ちょっとそういう考え方が出来る人がいれば一緒に出来るんだよね。

(※マグマ:フランスのプログレッシヴロックバンド。ディディエ・ロックウッドはマグマに在籍していたヴァイオリニスト。太田が影響を受けたアーティストについてはまた後ほど)


でも今は強気でしゃべってますけど、やっぱりずいぶんかかりましたよ。これでいい、このやり方でいいんだっていう風に他人に言えるようになるには。やっぱり自分が「クラシックのヴァイオリンの音がしないから駄目なのかなあ」とか、「テクニックがないから駄目なのかなあ」とか、受け入れられないのは自分が悪いってずっと思ってきてね。今はやっと、そういう昔にやってきたこととか、その方法でやっていろんな人が喜んでくれるっていうことを、ここ2、3年で自信がもてるようになった。まあ自信を持った瞬間に傲ってしまうので、あんまり自信はもたないようにしてんだけど、「まあこれでもいいかな」ぐらいに思えるようになったんだね。

でも決して自分だけで生きているんじゃなくて、こういうのは流れもあるからね。今、やっとジプシーのヴァイオリンとかアラブの音とかそういうのが世界中に流行っちゃったもんね。だからみんながわかるようになったのかなって流れも感じるし。自分が努力してここまで築いたんだって、あんまりそういう風には思っていないです。やってきたことと時代の流れがちょっとシンクロしてきたのかな、と思ってる。

――お客さんもそうだと思うんですが、一緒にやろうっていうミュージシャンの方も、そういう変化ってありますか?

それはそうだと思う。ものすごくあると思う。だから当時、梅津(和時)さんが一緒にやろうって言ってくれたときには、「梅津さん何ちゅう人だ、よく俺とかやってくれるなあ」って思ったもんね。その前に仙波(清彦)さんがあって、それから梅津さん。まあその後に、板橋(文夫)さんかなあ。
スタジオなんかでもね、昔は、それだったらクラシックの方を呼んだ方がいいよっていうのばっかりだったもんね。今はもう「いや、フィドルの音が欲しいんですよ」とか「ジプシーヴァイオリンぽいのが欲しいんですよ」っていう感じで、指名でくることが多いので、「お前たちはそんなこと言ってなかったじゃないか!」っていう(笑)。

(続く)

2002.1. 都内某所にて
Interviewed by S.Hayashi

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