太田惠資 (vl.)

    バンドの名前の由来と、結成のいきさつを教えてください。

バンド名の「Yolcu-Yoldaş(ヨルジュ・ヨルダシュ)」いうのはトルコ語で「旅」ということに関係した言葉で、片方が「旅」という意味で、もう片方が「旅客」とか「旅の仲間」という意味もあったりします。イメージとしては、同じ列車に乗っている乗客同士、という感じですかね。人生が旅で、出会ったひとが仲間ということで、音楽に例えれば、旅が音楽で、仲間はもちろん一緒にやってくれている岡部さん・今堀さん。

トルコのひとが「ヨルジュ」「ヨルダシュ」と並べて使うことは本当はないと思うんですが、語呂もいいし、「旅」とか「旅の仲間」ということで、トルコのひとが見たときにも詩のように感じるならばアリかな、と自分では思っているんですけどね

それでね、もう50を過ぎるまで自分のバンドを持つ気はなかったんですよ。バンマスというのは結局、自分の音楽を実現するためにひとを呼んでやるっていうことで、それはすごくエゴイスティックなことだな、と思って。でもひとに呼ばれて、その呼んでくれたひとたちのために自分の望まれている部分を出してあげられる、というのは自分の性に合っていたんですね。で、レコーディングとかもそういう形でいっぱいやってきているので、自分としては、いまさら自分のバンドっていうのもなかったんです。

ところが、ひとつには、よく「え、自分のアルバムないの?」って言われるのが、さびしかったのと…(笑)。もうひとつは、ぼくは一緒にやるひとたちを大事に思っていて、サポートをやるにしてもユニットにしても、かけがえの無い人たちだと思ってずっと続けてきたんですが……周りでね、なんというか、あとの人たちは全部一緒で、ヴァイオリンだけ違う人が入ってんじゃん、ていうバンドが、ちらほら増えて来てね。…バンドとかユニットってそういうものじゃないんじゃないかなって思っていたんだけど、「ああ、みんなそれでいいわけ?」っていう、ね(笑)。まあそういうことなら、俺もちょっとエゴを出して、これまでやれなかった形でやろうという気になったんです。だから発想はちょっと、健全ではない(笑)。

でもまあ、それだけだったら実現しなかったんですけど、ちょうど今堀さんに会ったり…今堀さん(との付き合い)は長いんですが、ずっといいなあって思っていてね。「ギターがほしい」とか「パーカッションがほしい」と思ったのではなくて、岡部さんと今堀さんとやりたいな、と思ったんです。それはぼくがさっき言った、バンドとか音楽は「ひと」なんじゃないの、というところと一致しているわけです。そういうことだったんで、わりと思い立ってから迷わず(二人に)お声をかけて。でもやっぱりすごい人たちなんで「鼻で笑われるかな」とも思ったんですが(笑)、快く引き受けてくださって。まあ、自然に出来たって感じかな。時期が自然に熟したというか、みんなそうやって機が熟して(バンドを)作るんだろうなあ、と思う。だから年齢的には遅いんですけど、僕にとってやっと機が熟したってことだった、と。

    「今までやれなかったことで、このバンドでやってやろう」というのは、どういうことでしょうか。

自分は即興がいちばん得意、向いているというのが自分の中であったので、まず即興中心にやれるバンドというのが一番の趣旨ですね。でも普通の即興というと、フリージャズぽくなったり、現代音楽ぽくなったり、即興という名のある種の傾向がよくあるので、そういうのを全部とっぱらって、何でもアリだから、と(いうことにしたかった)。で、(メンバーは)そういうのを全部わかってくれそうな人たちだった。

でも例によって自分の四角四面なところで、たとえば(ライブの)最後の曲は、「ヨルジュ・ヨルダシュ」という名前をつけた曲  書き下ろしで作ったバンドのテーマみたいな曲  で必ず締める。「太田のトルコ」以来あんまりやっていなかったんですが、トルコっぽいオリジナルの曲で、どんな即興をやっていても最後はそれで落とし前をつける、ということにして、あとはもう何でもいいや、と。

今は試し中なんですが、そんなふうに簡単なモチーフをいくつか持って来て番号をつけておいて…ぼくが勝手にやったら、気がついたら寄り添っても、寄り添わなくてもいいですよ、ということにして。で、現代音楽とかフリージャズっぽくならないためにも、いろんなタイプの曲を用意してね。よく作曲するのにモチーフをメモしてるんですけど、作曲するとなるとそれをちゃんと広げて完成させなければいけない。でもこのバンドだとそれを持ってくれば、あとは(メンバーの)みなさんが広げてくれるかなと…そう言う意味でのモチーフは、いいなあと思って。

これが方法論までいくといいんですけどね。ただ漫然と即興やって何でもアリだというのもいいんだけれど、そういうやりかたをしながらモチーフを使う  もちろんモチーフを元にした即興というのもかつていろんな方がやったんですけど  もっと自由な形でそのモチーフを使うというのが自分の方法論、みたいなところまでいつか自信を持って言えるといいかな。

それにはもちろん特殊な、スペシャルなメンバーがいると思います。誰でもこういうことがやれればOKというのではなくて、僕が思っている方向の音楽を共同で完成させてくれる仲間、ということですね。まあ、いまはその即興の方法論というので、模索中ですね。

ジャンルでいったらジャムバンドというのがいいのかな。また若い人たちにも流行っているけど、ジャムバンドのもうちょっと大人っぽいやつっていうか…もともとグレイトフル・デッドとか大人の人たちがやっていたんだけど、もうちょっとジャンルとか全て酸いも甘いも知ったひとたちとやると、深いジャムバンドになるんじゃないかと思って。

    実は先ほどファンの方とお話ししたんですが、その方は過去このバンドで四回やったライブを全部観たそうなんです。

ほんと?嬉しいものだなあ(笑)。

    その方が言うには、毎回少しずつ演奏が変わっているように感じる、と。そのあたりはいかがですか?(※インタビューは四回目のライブの後だった)

見えないところで変わっているんだと思います。それは狙いでもあって、岡部さんや今堀さんの人生における変化がバンドに反映しているのであれば、何かが変わって来ている、と。みなさん、自分を含めて、日々、戻りつ進みつで、成長していると思うので。

だからかけがえのないメンバーだと。でなければ、今堀さんが出来なければ別のひとで、ということになっちゃうでしょ。そうじゃないんだよね、僕が思っているのは。だから、みんなが揃わないならば一年やらなくても二年やらなくても構わないんですよね。二年後のこの三人、三年後のこの三人でも構わない。でもみんな確実に何か得つつ、失いつつ、変わっていく。そこが音楽に出ると面白いなと思う。

    では最後に、今後の展望を。

そうね、今後の展望は、自分が言ってきたバンド意識というのと、方法論の確立というかそのあたりを深めるために、まずは回数を増やすことですね。あとは、「ややっの夜」とかソロは音金(西荻窪 音や金時)が中心になってやってくださって、それはそれで素晴らしいんですけれど、これは、外に広げていきたい。いろんないい場所で。回数も増やし、いい場所いい環境いいオーディエンス。

interviewed by S. Hayashi, 2009.12.27.